【他者への意識】私のことが気になって仕方がない、ルドルフ=ラッセンディルさんへ|その②
こんにちは、神崎ゆきです。
この記事は、以前の続きとなります。
主な登場人物
神崎ゆき:私。ルドルフ=ラッセンディルさんによく絡まれる。
オリちゃん:ルドルフ=ラッセンディルさんによく絡まれる。
トゥーンベリ・ゴンさん:ルドルフ=ラッセンディルさんに「ゴン界隈は〜」とよく話題に出される人。具体的に「ゴン界隈」が何なのかは不明。
青識亜論さん:ネット論客。ルドルフ=ラッセンディルさんによく絡まれる。
1. ルドルフ=ラッセンディルさんによる、オリちゃんへの絡み
セクハラ騒動の後も、ルドルフ=ラッセンディルさんは事あるごとにオリちゃんに絡みに行っていたようです。
「セクハラやめてほしい」と言われた相手に対して、自分から何度も絡みに行くのは、謹んだ方が良いのではないかと思います。
「積極性がある」とは言えますが、あまり手放しに称賛できることではないでしょう。
① 私たちは『買われた』展に関する投稿
「買われた」
— オリちゃん 🐇🎀 (@oriii_chance) 2021年9月4日
問題視されるべきは、買春側であり男性のセクシュアリティとしたいのでしょうね。
センセーショナルな見出しにする方が目立ちますが、「買われた」にしたところで売春するに至った女性の問題解決に繋がるのか疑問。 https://t.co/usBXm9QI60
関心を引くためにあえて「買われた」にしたと考えられますが、その「買われた」というワードばかりが問題視されてますよね。
— オリちゃん 🐇🎀 (@oriii_chance) 2021年9月4日
売らざるをえない背景を訴えたいはずなのに、かなり違和感があります。
“可哀想”だけが消費され、あくまで買い手の問題視のみをしています。
そもそもがこれにしても、「売(られ)る少女」と「買う男」の間にある圧倒的な非対称性を、まるきり隠蔽してるわけで。 https://t.co/y1YDeLWK8N
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年9月5日
あくまで「買い手の問題」について指摘してるんだから、当然でしょうと。 https://t.co/gQcM6dFwTQ
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年9月6日
ルドルフさんも
— オリちゃん 🐇🎀 (@oriii_chance) 2021年9月5日
「売(られ)る少女」と書いていますね
「買われた」という言葉への疑問視で児童買春擁護も隠蔽もしていません。 https://t.co/BKONGhox82
そこに至った背景を知ってほしいとある。
— オリちゃん 🐇🎀 (@oriii_chance) 2021年9月6日
前回の展示内も、売らざるをえなかった少女の生い立ちや心境がメイン。
買い手の問題ならば“どうでもいい“はおかしい。
買い手のみ問題視しても売らざるをえない背景の解消はできない。
背景を知らなければ支援ができません。https://t.co/hhIcCO8Sls
未成年の場合も、積極的に売り手となる事実はあります。
— オリちゃん 🐇🎀 (@oriii_chance) 2021年9月6日
それでも未成年を買う大人が悪い。
買われたという言葉にしたことでこんな声も出てたようですね。
買い手の問題点ではなく当事者の背景とそうしなくていいようにするための支援が必要。
よって、わたしは買われたという表現を疑問視した。 pic.twitter.com/GyMgU2IQqH
ルドルフ=ラッセンディルさんは「私たちは『買われた』展」を"あくまで「買い手の問題」を指摘してる"と仰っていますが……。
オリちゃんが指摘する通り、前回の展示内容は「売らざるを得なかった少女の心境や生い立ち」がメインです。
「買われた」というセンセーショナルな言葉によって、展示内容の本質が誤って伝わってしまうのではないか、というのがオリちゃんの懸念なのですが……。
ツイートの内容を鑑みるに、ルドルフ=ラッセンディルさんは「私たちは『買われた』展」の内容そのものをご存知ないのでしょう。
そのセンセーショナルな題名から"あくまで「買い手の問題」を指摘してる"と思い込みをされており、まさに「オリちゃんが懸念した通りのこと」が起こっています。
また、セクハラ騒動の頃からそうなのですが、これ以降もルドルフ=ラッセンディルさんはオリちゃんに対して「言いたいことだけ言って、相手が回答したら返答しない」という傾向があるようです。
②「ポニーテール」に関する投稿
ポニーテールを『男子の欲情をあおる可能性があるから』と禁止してた校則が話題になったことがあるよね
— オリちゃん 🐇🎀 (@oriii_chance) 2021年9月10日
抑えきれない方が悪い、声をあげてる人が欲情してるのでは、その規制の仕方はあってるの?と言われてた
そこまで言われるほど、戸定梨香ちゃんって、“性的”で“女性蔑視”なの?
二段目までと三段目の繋がりがよくわからないけど、「ポニーテール」と「乳揺れ」を同じようなもゆだと思ってしまう…というより同一のものにしてしまう力技にだけは感心する。 https://t.co/8SgfL9G54t
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年9月11日
わからないんですね
— オリちゃん 🐇🎀 (@oriii_chance) 2021年9月11日
ポニーテール禁止
→理由はうなじが男子の欲情をあおる可能性があるからと女子生徒の髪型にふさわしくないとされた
戸定梨香ちゃん
→服装について性的対象物として描写している、性犯罪誘発の懸念とされた
ポニーテール禁止についての批判が“確かに”と思ってかいていますよ https://t.co/0vZ8d0J8n1
このように、ルドルフ=ラッセンディルさんは「よくわからない」と言いながら、わざわざ絡みに来て批判をすることがよくあります。
疑問ではなく婉曲的な批判として「よくわからない」という言葉を使う場合、自分では「相手の文章力が乏しい」と批判しているつもりでも……。
第三者から見たときに「自分にはそれを理解できる知識と能力が無いと言いながら、妙に堂々と自慢気にしている人」だと受け取られることもあります。
もし日常的にやっているなら、少しその口癖は気をつけた方が良いのではないかと、個人的に心配になります。
③ オリちゃんが書いたnoteに関する投稿
日本でも宗教によって性の価値観や規範も変化しているのだから、宗教の話を出すこと自体はおかしくないよね
— オリちゃん 🐇🎀 (@oriii_chance) 2021年9月15日
この投稿は、前述した「私たちは『買われた』展」について、オリちゃんが書いたnoteに関するものです。
このnoteでは「売春女性の起源」として「巫女起源説と外来民起源説がある」という宗教の話題も取り扱われています。宗教も含め、様々な観点から多面的に、性を「売る」と「買う」の背景について考察されている記事です。
しかし、なぜか……ルドルフ=ラッセンディルさんは、全く違う話題だと勘違いして絡んできます。
出すこと自体はおかしくないけど、あの出し方はどう考えてもダメだと気付けるのが、倫理観を持ったおとなというものだろうね。 https://t.co/IgcKBU7hSB
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年9月15日
(よくわからんが、ゴンのあれの件だよね?)
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年9月15日
宗教の話を持ち出したこと自体が問題なのではなくて、全く関係のない目的のために、安易に他者の文化や現実に存在する抑圧の一覧を持ち出すことの無神経、倫理的欠落が指摘されている。
「他者」への意識。
それが、君たちに決定的に欠けているもの。 https://t.co/WBX6d6JGqO
あれ?統一教会の件だった?
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年9月15日
いや、文脈的に違うか。
いきなりなんの話ですか?
— オリちゃん 🐇🎀 (@oriii_chance) 2021年9月15日
わたし、性について書いたnoteで宗教についても少しだけ触れて書いたんですよ。
ルドルフさん、いつも毎回そちらからでよくわからない、いいがかりみたいな声だけかけていきますよね。 https://t.co/0XAybfPB8m
ルドルフさんも『よくわかないが…』っていうなら、言いがかりやめてもらえません?
— オリちゃん 🐇🎀 (@oriii_chance) 2021年9月15日
なんでいつもいつも、確認もせず思い込みから始まるんですかね
統一教会?
なんの話かさっぱりわかりません
noteも見てないようですし、思い込み話すすめるの、やめてくださいね。https://t.co/L9XpEPgx5A
『他者への意識』、持って欲しいです
— オリちゃん 🐇🎀 (@oriii_chance) 2021年9月15日
"「他者」への意識。
それが、君たちに決定的に欠けているもの"
ルドルフ=ラッセンディルさんはこのように仰っておりますが、そう仰るご自身は「よくわからない」と言いながら、思い込みだけで内容を確認せず相手を非難してしまう。
それは、果たして『他者への意識』がある行動なのでしょうか。それこそ他者に「決定的に欠けている」と指摘するわりに、ご自身はその辺りに気を配っていらっしゃらないのか……。
……さすがに、オリちゃんが可哀想になってきます。
『他者への意識』、持って欲しいです。
④ 「誰も傷つかない表現」に関する投稿
「誰も傷つかない表現」なんて無理だよね…
— オリちゃん 🐇🎀 (@oriii_chance) 2021年11月5日
言葉一つでもそうだし、食べ物や旅行の写真、家族団欒や赤ちゃん写真も。
クリスマスやバレンタインの広告もそう。誰かの幸せは誰かの不幸せだし、何でもないことでも配慮も限界がある。
「偶発的に誰かが傷ついてしまうこと」と、「一般的に傷つけてしまう可能性が高いこと」の区別がつけられるようになってから、「表現」するようにしようね。 https://t.co/ht8sa5UPZY
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年11月6日
至極普通のことしか言ってないつもりだが、異様な数の引用、リプが…
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年11月6日
ぶわ。袋叩き。
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年11月6日
この人にからむと、即これだ。
おおこわ。 https://t.co/o5jgmywD60
なぜ、ルドルフ=ラッセンディルさんが「至極普通のことしか言っていない」にも関わらず、こんなにも批判されてしまうかと言えば……。
周りから見て、ルドルフ=ラッセンディルさんが「偶発的に誰かが傷ついてしまうこと」と「一般的に傷つけてしまう可能性が高いこと」の区別をつけた言動をされているとは、到底思えないからではないでしょうか。
言っていることが、そのまま自身の言動に当てはまるのです。
ここまでに挙げてきた通り、ルドルフ=ラッセンディルさんが思い込みや勘違いで決めつけて非難してくることを、オリちゃんは相当嫌がっており「やめてください」とはっきり明言しています。
嫌がっている相手に執拗に絡みに行くのは「一般的に傷つけてしまう可能性が高いこと」に該当します。
さらに、何度も何度も自分の方から絡みに行っているにも関わらず……。
ルドルフ=ラッセンディルさんは「セクハラ騒動」のときと同じように「ぶわ。袋叩き。この人にからむと、即これだ。おおこわ」という「被害者は自分」の意識を持たれていらっしゃるようです。
2. ルドルフ=ラッセンディルさんによる、私への絡み
オリちゃんも私も、自分の方からルドルフ=ラッセンディルさんには関わりたくないので、自分から絡みに行くことはほとんど無いのですが……。
どうやら、ルドルフ=ラッセンディルさんは私たちのことが気になって気になって仕方がないようです。
オリちゃんに関してはここまでに取り上げてきた通りですが、ルドルフ=ラッセンディルさんは私にもよく絡んできます。
① 読解コードに関する投稿
今のオタク文化って、感情表現の『尊い』に代表されるように、漫画やイラストから読み取れる「雰囲気」「関係性」に焦点が当たっているんだよね。だから、その絵柄について「これは萌え絵であり性的側面の強調で女性の客体化である」とか言われても「えっ、逆にそこしか見てないの!?」が正直な感想。
— 神崎ゆき (@yukinoko811) 2021年9月30日
(その真偽はともかく)「オタク文化は作品のなかの深い機微を理解する感受性を持っている」として、「その読解コードの存在をもって、そうじゃない読解コードの存在を否定することはできない」ということをどうしても理解しないのが、今の一部オタク文化なのは確かなんだろうな。 https://t.co/1fRuREO516
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年10月2日
冒頭での「コンテクスト」の話と同様で、私は
"「これは萌え絵であり性的側面の強調で女性の客体化である」という読解コードの存在をもって、「雰囲気」「関係性」という読解コードを否定することはできない"
という趣旨で述べているのですが、なぜかルドルフ=ラッセンディルさんは
"「その読解コードの存在をもって、そうじゃない読解コードの存在を否定することはできない」ということをどうしても理解しない"
と、「私と同じ主張をしながら私の主張を批判する」という、非常に奇妙なことをされています。
また、前述した「セクハラ騒動」は、まさに「読解コードの齟齬」によって生じたものだと思うのですが、分かったうえで言っていらっしゃるのか、そもそも分かっていらっしゃらないのか……。
"「その読解コードの存在をもって、そうじゃない読解コードの存在を否定することはできない」ということをどうしても理解しない"
— 神崎ゆき (@yukinoko811) 2021年10月2日
これはむしろ、自分の読解コードで「セクハラ!」と決めつけ「冗談を言い合ってただけ」と否定する女性を責めるあなたにこそ、該当しませんか?https://t.co/XhDp2FHibx
② エコーチェンバー効果についての投稿
どちらかと言えば……。
— 神崎ゆき (@yukinoko811) 2021年10月2日
私の当該ツイートの『1.4万いいね』まで伸びたのは「オタク文化コードと一般的感覚コードの接近」が要因かなと思います。若者に"ライトオタク層"が増えている。それを端から「性的消費」と非難する人が、自らを「一般的感覚」と思っている場面を、表現バッシングでよく見る。 https://t.co/8ELSvBUHkZ
そうでもないと思うよ?
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年10月2日
Twitterの1.4万だの、6万署名だのは、ネットでは起こりがちなエコーチェンバー効果。 https://t.co/hV2RQ8u7hU
それを何足か飛ばしに、「一般的感覚」と思い込んでしまう。
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年10月2日
これを夜郎自大という。
そしてくだんの警察の交通安全動画のようなものは、「ライトオタク層」でもなく、まったくそういうものを知らない、本来は解釈共同体の外側にいる存在に訴求していくもの。 https://t.co/hV2RQ8u7hU
「読み方」がわかっていない存在(本当か?)に譲るべき場面。
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年10月2日
しかしむしろ、「自分達の感覚が一般的ではない」ことに自覚的であることが、オタクの条件ではなかったのか?と。
まさか、Twitterのいいね数で「一般性」を主張するところまでいくとは。
まあ↑の神崎の発言は、ちょっと現代のオタク側の言い分(この人自体オタクなのかは知らんが)として、忘れないでおこう。
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年10月2日
"Twitterの1.4万だの、6万署名だのは、ネットでは起こりがちなエコーチェンバー効果"
— 神崎ゆき (@yukinoko811) 2021年10月3日
……おそらくマーケティングに詳しくないと存じますので、仕方ないと思いますが、万単位の規模まで数字が伸びた場合、それはクラスタ限定のエコーチェンバーではなく『クラスタ間の壁』を突破して起こる現象です。 https://t.co/EqYzG5d4XG
万単位の規模まで伸びた場合はクラスタ間の壁を突破している。
— 神崎ゆき (@yukinoko811) 2021年10月3日
もし、これが大規模クラスタなら『エコーチェンバー効果』でも説明できますが……例えば「表現の自由」クラスタの青識亜論さんでもフォロワー数が4万程度の「マイクロインフルエンサー」なので、規模が比較的小さなクラスタに入ります。
……というか。
— 神崎ゆき (@yukinoko811) 2021年10月3日
そもそも『エコーチェンバー効果』は「閉鎖的空間内でのコミュニケーションが繰り返されることにより、特定の信念が増幅または強化されてしまう状況」の事なので、それを"具体的な数字"が出ているものに適用して『これはエコーチェンバー効果だ』と言うの、間違ってるんじゃないかな。
上記の投稿でも述べた通り、エコーチェンバー効果(あるいは、エコーチェンバー現象)というのは、そもそも「閉鎖的空間内でのコミュニケーションが繰り返されることにより、特定の信念が増幅または強化されてしまう状況」を指します。
なので、具体的な数値に関して言及するルドルフ=ラッセンディルさんの使い方は誤用と言えるでしょう。
また、エコーチェンバー効果を正確に観測するには、ネットワーク・クラスタリング分析が必要ですが、そのクラスタ(あるいは、界隈)の規模から、ある程度の目算をつけることは可能です。
例えば、「表現の自由」に関するクラスタの代表的なインフルエンサーとして青識亜論さんがおりますが、彼のフォロワー数は4万人程度。
定義としては「マイクロインフルエンサー」に該当します。そこから推測できるクラスタの規模は、Twitterの様々なクラスタの中では「比較的小さなクラスタ」に入ります。
そして、これはウェブ広告マーケティングでよく使われる概念なのですが、一般にPV(Page View)数に対するCTR(クリック率:Click Through Rate)は10%が相場です。
1回のツイートが4万人に届くとしたら「4,000いいね」を目安に、そのツイートが「クラスタの壁」を超えているかどうかを(あくまで概算ではありますが)推測することができるのです。
「1.4万いいねを超えたツイート」および「6万筆を超えた署名」は、ルドルフ=ラッセンディルさんが誤用された「エコーチェンバー効果」には該当しないのですが……。
いったいなぜ、ルドルフ=ラッセンディルさんは、こんなにもご自身の主張に自信を持たれていたのでしょう?
なお、この後は返信がありませんでした。
③ 作者の意図に関する投稿
"『雰囲気』『関係性』をいくら持ってきたところで、それを表現するためにエロティックな意味をもたせる技法が使われたことを無効化できるわけじゃないからなあ"
— 神崎ゆき (@yukinoko811) 2021年10月3日
これは仰る通りですね。あくまで「え、そこしか見てないの!?」と思ってしまうのは、私の『お気持ち』に過ぎず、ただの正直な感想です。 https://t.co/yRRxyqhE9O
ただし。
— 神崎ゆき (@yukinoko811) 2021年10月3日
「エロティックな意味をもたせる技法が使われたこと」が事実かどうかは、よく検証が必要と思います。しばしば「作者の差別意識が透けて見える」と難癖がつけられ、作者が否定しても「無自覚の差別意識」と、さらに責められる……という場面を見かけます。相手の内心を決めつける詭弁の横行。
少なくとも性的な技法の使用があったことを否定するのは難しいと思う。
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年10月3日
「作者の意図」で全て片付くわけもないのは言うまでもないが。 https://t.co/K62SpUgeTO
私のフォロワーさんは1万人以上いるので、通知が常に「20+」を超えており、引用RTやリプライを見落とすこともよくあります。なので、このツイートもまとめを作っているときに気づきました。
本当に、ルドルフ=ラッセンディルさんはよく絡んで来られます。
その積極性には目を見張るものがありますが、そんなに私のことが気になって気になって仕方がないのでしょうか……。
④ 多様性に関する投稿
たぶん何度も何度も言われている事だと思うけど、多様性は「みんなが快適な世界」ではありません。むしろ逆で『みんなが少しずつ不快な世界』です。自分が嫌いなもの、自分の価値観と合わないもの、それに嫌悪感を持ちながらも存在を容認する。自分の萎えは誰かの萌え。逆もしかり。これが多様性です。
— 神崎ゆき (@yukinoko811) 2021年10月20日
本当、「ツイフェミ」やKutoo運動やフェミニスト議連の主張がいくら「不快」でも、容認して欲しいもんだよね。 https://t.co/fjD6DThPkt
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年10月21日
そもそも、「萌え」とか「萎え」とかいうレベルの話でもないが。
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年10月21日
そもそも、私の投稿は全国フェミニスト議員連盟が記者会見にて「だれにとってもよりよい社会を形成するために努力し、多様性に配慮するのは言うまでもありません」「みんながそんなに不快に思わない、共有していける社会を探していきたい」と語ったことを踏まえて……。
「いやいや、多様性って『みんなが不快に思わない社会』のことなの?」という疑問を持って投稿したツイートです。
ルドルフ=ラッセンディルさんは、また何らかの勘違いをされて……。
"本当、「ツイフェミ」やKutoo運動やフェミニスト議連の主張がいくら「不快」でも、容認して欲しいもんだよね。"
……と仰っていますが、私は「多様性とはこうである」と言っているに過ぎず「多様性を目指そう」とは言っていません。
「生物多様性」で考えてみても……。
「多様性に乏しい極寒の地」に比べれば「多様性が溢れる温暖なジャングル」は生物全体としては生きやすい自然環境ですが、個体としての生存競争は熾烈になっています。これは生物多様性だけでなく、人間社会の多様性も同様です。
また、私は「多様性そのもの」「多様性を目指すこと」「多様性戦略」は全て別物だと捉えており、これらの混同が「多様性社会はみんなが不快に思わない社会だ」という勘違いを引き起こしたのではないかと考えています。
⑤ 女性差別に関する投稿
「女性を差別する表現をやめろ!」と偏見でオタク文化をバッシングする人が多いけど、なんでオタクにも女性が多い事実を認められないの?なんで徹底的に不可視化するの?とらのあなの顧客層は70%が女性、日本のイラストレーターも70%が女性、コミケも多くの女性が支えています。"女性"を無視しないで。
— 神崎ゆき (@yukinoko811) 2021年10月28日
なんで女性だったら女性を差別する表現に加担しないことになってんの?
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年10月29日
そんなとこからか? https://t.co/edvxeksZ8Z
↑というか、よく考えると「女性が携わって女性が積極的に受容してるジャンルで女性差別はありえない」ことにしないと、あの会社の一点張り主張に乗れないもんなあ。
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年10月29日
なかなか辛いものがあるよね、自由戦士たちも。
この件に関しては、ルドルフ=ラッセンディルさん以外の方からもご指摘を受けており、私の書き方が悪かったなと訂正を入れております。
何か妙な引用されているな……と思ったら、私の書き方が悪かったです。
— 神崎ゆき (@yukinoko811) 2021年10月29日
ATSUGIの件で『オタク = 男』の前提で表現を「女性差別」だと非難する投稿が多く、その表現が好きな女性も多いのに存在自体が無視されて「男が悪い」と謎の結論を展開される事例が結構あったので「それは違くない?」という話。
前述の「多様性」に関するnoteでも具体例をいくつか取り上げたのですが、表現の関するバッシングでは……。
かなりの頻度で「クリエイターおよび企画者は男性だ」「男による女性蔑視の意識が透けて見える」という決めつけによって、非難が行われます。
「しかし、実際のクリエイターや企画者は女性だった」という事例が枚挙にいとまがない。その状況を疑問視しての投稿でした。
⑥ 科学的根拠に関する投稿
何度も何度も言われていると思うけど「根拠が無い」のです。表現が女性差別を助長するとか、女性蔑視の価値観を刷り込むとか、そういう研究や統計情報があるのかを聞くと「明らかだ」「自分で調べろ」と言われる。何を根拠にその主張をしているか、説明せずに不明だから『お気持ち』と呼ばれるのです。
— 神崎ゆき (@yukinoko811) 2021年11月14日
『お気持ち』自体は大事です。人間は感情の生き物だから。
— 神崎ゆき (@yukinoko811) 2021年11月15日
問題なのは「表現が女性差別を助長する・女性蔑視の価値観を刷り込む」と、あたかも『科学的根拠が存在する』かのような主張。実際は、そんな根拠は存在しないのに。感情は動機としては大切。でも、感情と事実は切り分けて考える必要がある。
しかし、人が人を差別したり、蔑視したりすることにデータや科学的根拠を求めると、ほぼあらゆる差別は免責されることになる。
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年11月15日
感情というより、論理的帰結として、女性差別的な表現というのはあり得る。君たちが認めないだけで。 https://t.co/ddNzfpKbTE
いつもいうが、統計とか科学的データというのは、扱うもの、それによって判断するものの使い方次第であって、それが全てと思ってしまってはいけない。
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年11月15日
この場合、「女性や児童の身体について誇張したりモノ扱いしているような表現」というのは、その描き手が、「これらの属性の尊厳を軽く見ている」と考えることは当然であり、また、「それが広く流布されることは女性差別を助長する」というのはごく当たり前に導き出せる帰結。
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年11月15日
そしてこの論理的帰結というのも、普通に科学的思考の一つ。
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年11月15日
👇の人みたいに、科学というのが「データ」や「統計」そのものだと勘違いしているのは、いかにもナイーブ。 https://t.co/rLOJsC2jr2
↑の場合の「ナイーブ」は、当然、「無知」と置き換え可能なやつです。
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年11月15日
"こういうのを信じてしまうのは、例の戦後以降の犯罪率の低下とアニメ、漫画コンテンツ数の増加のグラフをもって「アニメや漫画はむしろ犯罪を減らした」と結論してしまう1ビット脳の持ち主であって、「科学的思考」とはまったく程遠い"
— 神崎ゆき (@yukinoko811) 2021年11月15日
……あの、私そのような主張は一言もしていないのですが……。
ここでも「当然」「ごく当たり前」という言葉にこだわりを持たれる「ルドルフ=ラッセンディルさんの癖」が見られますが……。
「当然」「ごく当たり前」といった常識や偏見で物事を繋いでしまうのは、論理的帰結でも、科学的思考でもなく、むしろ全く逆の姿勢です。
既存の常識や偏見を疑うことこそ、科学的思考ではないでしょうか。科学的思考の手法としては、批判的思考(クリティカル・シンキング)がその一例として挙げられます。
なお、批判的思考の「批判」は「非難」と類似した意味ではなく「単に否定的になるのではなく、自身の論理構成や内容について内省すること」を意味するので、注意が必要です。
また、戦後以降の犯罪率の低下とアニメ、漫画コンテンツ数の増加のグラフから「アニメや漫画はむしろ犯罪を減らした」と結論づけるのは、私も早計だと考えます。
戦後以降の犯罪率の低下とアニメ、漫画コンテンツ数の増加のグラフから分かるのは「漫画コンテンツ数の増加は、時代による影響を超えるほどの影響をもって、戦後以降の犯罪率の上昇に寄与しているわけではない」です。
すなわち「漫画コンテンツ数の増加は犯罪率の上昇に繋がる」という主張に対して、それは誤りであるという根拠には十分になると言えます。
ところで、ルドルフ=ラッセンディルさんは「ナイーブ(無知)」や「1ビット脳」と仰っていますが……。
相手を強い言葉で非難するとき、その言葉は「自分が言われたら嫌な言葉」をそのまま言っている場合があり、自分自身が抱える「コンプレックス」の裏返しである。
……という心理があるそうです。
ただ、これにルドルフ=ラッセンディルさんが該当するかどうかは推測の域を出ないことなので、分かりません。
⑦ 経済効果に関する投稿
温泉むすめを批判するのに最も有効な方法は「温泉むすめと"提携していない"温泉に行きました!」と写真を投稿して『温泉むすめを使わない方が集客も経済効果も見込める』と示すことなのですが、そんな投稿は全然見かけない。単純にやり方が「下手」だと思います。SNSで非難するだけで、行動をしない。
— 神崎ゆき (@yukinoko811) 2021年11月22日
そんなやり方が「上手い」という感覚が、単純にわからない。
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年11月23日
「経済効果」なるものが最大の価値だと思い込んでいる。これも一種のネオリベ思考なんだろうな。 https://t.co/Zfg2JRv8Z5
そもそもこの人ら、ネット上でしかイキれてなくて、現実社会で何かを自分達の思う方に前進させたことって、ついぞないと思うのだが。
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年11月23日
よくもやり方の上手い・下手を指南できると思うよな。 https://t.co/Zfg2JRv8Z5
ここでも、ルドルフ=ラッセンディルさんは「単純にわからない」という言葉を批判として用いられています。
しかしながら、ここまでに述べてきた通り……。
ルドルフ=ラッセンディルさんは、オリちゃんに対しても私に対しても、言葉の誤用や事実誤認を何度もされている、すなわち「本当にわかっていない」ことが何度もあったので「単純にわからない」という婉曲的な批判方法は、主張の補強として機能し得ないのではないかなと思います。
また、私がツイートで触れた『温泉むすめ』は、観光庁の後援こそありますが、企業による「地域活性化プロジェクト」です。その企業活動において、経済効果を見ずして、何を指標にせよと言うのでしょうか。
さらに「そもそもこの人ら、ネット上でしかイキれてなくて、現実社会で何かを自分達の思う方に前進させたことって、ついぞないと思うのだが」と仰られても、それは「現実社会で実績を積まれ、それ口先だけでなくネットでも確認できる方」が言ってこそ、説得力がある主張だと思います。
しかし、ルドルフ=ラッセンディルさんは、その辺りの機微には疎いようです。
私としても、口先だけで「マーケティングに詳しいです!」と言って集客や経済効果を語っているだけではなく「実際にほぼ1年間(正確には360日間なので5日間の誤差はありました)で1万フォロワーを達成する」という実績を積み、そのうえで主張していることは、しっかりとお伝えしておきたいところです。
もちろん、私よりマーケティングに詳しい人は沢山いらっしゃるとは思いますが、少なくとも何の実績も示せない方と比べたら、知識と経験はあると自負しています。
"そもそもこの人ら、ネット上でしかイキれてなくて、現実社会で何かを自分達の思う方に前進させたことって、ついぞないと思うのだが。よくもやり方の上手い・下手を指南できると思うよな"
— 神崎ゆき (@yukinoko811) 2021年11月23日
……とても立派なご経歴と素晴らしい知識をお持ちなのですね。私も学びたいものです。https://t.co/dRSmYUkQYY
といいつつ、有料ブログ貼られてもなあ。(毎度ながら)
— ルドルフ=ラッセンディル (@rudolph_zenda) 2021年11月24日
「それっぽいことを言って1ビットな人たち相手に商売して、それなりに儲けておるぞ!」というアピール? https://t.co/uE8PWXa8Hp
私がルドルフ=ラッセンディルさんへのリプライで有料記事を貼るのは「何度も何度も変な絡み方をされて、私ばかりが嫌な気分になって損するのも何なので、せめて宣伝として活用しよう」と思ってのことです。
ルドルフ=ラッセンディルさんは私のことが気になって気になって仕方がないからこそ、絡んで来られるのかもしれませんが、私は別にルドルフ=ラッセンディルさんと話すのは別に嬉しくなく、特に得るものもないので……。
それでも、私のことはいくら馬鹿にして頂いても、別に差し支えはありません。
しかし、私の記事をご購入下さった方々を「1ビットな人たち」と称されたことは、看過できかねます。
私は、noteで有料記事を販売しておりますが、全ての記事を「24時間以内なら返金可能」に設定しています。それは、しっかりと読んで納得を頂いたうえで、対価を払って頂きたいからです。
「これはお金を払う価値は無い」と判断された方は、遠慮なく返金して下さって差し支えないと思っているからです。そのため、返金可能にしています。
この方針は、私が運営するオンライン・コミュニティ『神崎ゆきの100円ラボ』でも同様に、徹底しています。メンバー登録をしてから1ヶ月間は無料に設定しており、いつでも退会することができます。
私は「お金とは信用の証である」と考えているから。
だからこそ、私を信用してお金を払って下さった方々に対して「1ビットな人たち」という侮辱をされるのは、非常に許しがたく思うのです。
ルドルフ=ラッセンディルさんには、ご自身の発言の撤回と、私の記事を購入して下さった方々へ向けて、真摯な謝罪をして頂きたく存じます。
……と、以前にも私は言ったのですが、現在に至っても謝罪はしていただけていません。そして、これ以降にもルドルフ=ラッセンディルさんは私を含め様々な方に妙な絡み方をしていたらしい……。
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